サッカー部について

about

縣陵サッカー部誕生

松本県ケ丘高等学校サッカー部は、大正12年に学校創立と共に、初代校長小松武平先生の発案により、校技として誕生しました。当時は、蹴球(サッカー)と言う競技すら知らず、ましてボールなど蹴ったこともない大正12年の中学1年生だった第1回生諸兄の活動から始まり、破れたボールを補修して練習しなければならなかった時代や、不幸な戦争で部活動を中断された時代、終戦直後の物資不足でスパイクの調達すら思うようにならなかった時代など、様々な苦難の時期を乗越えて活動を続けてまいりました。

縣陵サッカー部の強み・縣陵魂

令和7年4月現在、サッカー部は66名で活動しています。(3年生選手23名、2年生選手23名・マネージャー1名、1年生選手19名)2023年度、本校は学校創立・サッカー部創部 100年周年を迎えました。

サッカー推薦など当然ない県立高校でありながら、全国高校サッカー選手権出場(9回)、インターハイ出場(6回)、新人戦優勝(6回)などの輝かしい実績をもつサッカー伝統校です。臙脂(エンジ)と白の縦縞は、縣陵サッカー部を象徴するユニフォームです。

全国的に私学優位となっている昨今、長野県内も例外ではありません。本校もインターハイ、高校選手権はここ数年、全国大会から遠ざかっております。リーグ戦も、創設以来長らく1部リーグに在籍してきましたが、平成30年、初めて2部への降格を経験しました。その後は、2度の2部リーグ優勝で1部に復帰してきましたが、昨年度、強豪私立、Jユースチームと同居する1部で検討しましたが、再び降格。今年度は2部リーグからのスタートとなっています。1年での1部リーグ復帰、2ndチームも2部への昇格を目標にチーム一丸となって闘っています。

本校の校是でもある三大精神、「質実剛健であれ」「大道を闊歩せよ」「弱音を吐くな」、サッカー部の部訓、「出足」「競り合い」「気迫」の言葉は古くから「縣陵魂」として多くのOBOG、選手の心に刻まれています。この諦めない精神力で、数々の劇的な試合、各年代の記憶に残る熱いプレーをしてきました。「再び全国へ!」を合言葉に、常に前を向き、日々精進していきたいと思います。

長野県の公立高校には珍しく専用のグラウンドを有し、勉学・サッカー共に打ち込める環境が整っております。

これからも応援をよろしくお願いいたします。

令和6年度サッカー部進学先

国公立大学

宇都宮/データサイエンス経営 1

大分/経済 1

鹿児島/水産 1

金沢/人間社会 1

埼玉県立/保健医療福祉 1

東京学芸/教育 2

名古屋/経済 1

私立

慶応/法 1

工学院/工 1

東洋/国際 1

拓殖/理工 1

中央/経済 1

中京/現代社会 1

立命館/産業社会 1

サッカー部専用グラウンド

100m×68mの広さとアップスペースのあるグラウンドを毎日サッカー部専用として使用することが出来ます。またナイター設備も設置され、県内の公私立高校サッカー部の中でも非常に恵まれております。

監督・スタッフ紹介

監督浅輪 賢史(あさわけんじ)(高52回卒)
指導歴 松本深志高校(H17‐H21)~臼田高校(H22‐H26)~富士見高校(H27‐R1)~松本県ケ丘高校(R2‐)
競技歴 鎌田SSS(田川小)~FC松本ヴェガ(丸ノ内中学)~松本県ケ丘高校~新潟大学
1999年 インターハイ全国大会 出場
1998年、1999年 長野県国体選抜 1999年 熊本国体  出場    
顧問上原 雄貴(高64回卒)
競技歴 南松本SSS(開明小)~松本山雅FC-U15(信明中)~松本県ケ丘高校
経 歴 松本県ケ丘高校~明治大学
指導歴 小海FC(小海高校)(H29-R3)~松本県ケ丘高校(R4-)
顧問関 孝誠
競技歴 諏訪西中学~岡谷東高校
経 歴 岡谷東高校~山梨学院大学
指導歴 諏訪二葉高校(H28)~伊那北高校(H29-R4)~松本県ケ丘高校(R5-)
コーチ浜 彰俊(高45回卒)
競技歴 清水SSS~清水中学~松本県ケ丘高校~大阪体育大学
1991年 全国高校サッカー選手権 出場1992年 長野県国体選抜 山形国体  出場 第6位 
トレーナー杉山 俊樹(高61回卒)
競技歴 諏訪FC(城南小)~諏訪FC(上諏訪中)~松本県ケ丘高校
経 歴 松本県ケ丘高校~茨城県立医療大学理学療法学科
百瀬整形外科スポーツクリニック勤務 理学療法士
2020年~2022年 長野県国体選抜 帯同